上杉謙信の兜飾り!人物像や逸話から、兜の特徴的な日月の前立の意味まで解説
みなさんが歴史上の人物で、最も好きな人物は誰でしょうか。
日本の歴史には、数多くの武将や戦国大名達がいます。
こうした戦国武将や大名たちは、歴史小説や時代劇・大河ドラマなどで、重要な役割を演じることが多く、時代や世代を超えたファンが根強く存在します。
端午の節句に飾る五月人形でいっても、戦国武将の上杉謙信・伊達政宗・徳川家康・真田幸村・織田信長たちをモチーフとした鎧兜飾りも豊富に販売されています。
その中でも、最近は特に上杉謙信・伊達政宗の兜に人気が集中しているようです。
ただ単にカッコいいからというだけでなく、お子さんの未来を「歴史の中でたくましく生きた戦国武将たちの立派な功績」に重ねてイメージされる親御さんも多いのかもしれません。こういった戦国武将の兜は、初節句の贈り物としても大変重宝されています。
歴史が大好きな方や、または鍬形の形がかっこいいなど選ぶ理由は様々ですが、その人物や言われ、どうしてその形になったかなど、知るとますます武将の兜飾りの虜になるかもしれません。
そこで今回は、東玉の名将飾りの中でも特に人気の「上杉謙信公」をモチーフとした五月人形と、その人物像や兜の意味などをご紹介します。
上杉謙信公とはどんな人物? 特徴的な兜の意味は?
では、実際上杉謙信とはどんな人物だったのか見てみましょう。
上杉謙信公の幼名は「長尾虎千代(ながおとらちよ)」で「長尾為景(ながおためかげ)」の末子として誕生しました。
その後7歳で「林泉寺(りんせんじ)」へ入門し14歳まで過ごしました。当時の上杉謙信公はわんぱくな遊びを好み、すでに武勇の才を認められていたといわれます。また、勉学にも励んでいたとされ【文武両道】であったようです。
15歳で元服し、「長尾景虎(ながおかげとら)」と名乗りました。
上杉謙信公の初陣は、元服の同年、長尾家の情勢を軽んじた「越後(えちご)」の豪族が起こした謀反を指揮したものです。これを「栃尾城の戦い(とちおじょうのたたかい)」と言い、敵本陣を巧みに挟み撃ちにして壊滅させた手腕は今なお語り継がれています。
この様に「越後国(えちごのくに)」は当時とても情勢が不安定でした。その後上杉謙信公は奔走し、およそ7年後、22歳の若さで越後国統一を成し遂げました。
その後も
・川中島の戦い
・小田原城の戦い
・越中一向一揆の戦い
などでその武功をとどろかせ、軍神とおそれられた上杉謙信公は、「越後の龍」とも讃えられています。
また上杉謙信公は、とても義理深く人情味が深いことでも知られており、
「依怙(えこ)によって弓矢は取らぬ。ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す」(欲のために戦いはしないが、道理があれば誰へでも手を貸す)
と述べたことが『白河風土記(しらかわふどき)』に記録されています。
また、上杉謙信公は卑怯なことが嫌いであったとされており、「敵に塩を送る(敵へも情けをかけることの意)」という諺(ことわざ)にもなっています。
これは「武田信玄が当時敵対していた今川氏真に、唯一の塩の供給を止められてしまい困窮していたところ、同様に武田信玄と敵対していた上杉謙信公が、代わりに塩を送って助けた」という有名な逸話がもとになっています。
このような義理深く人情味が深い上杉謙信公をモチーフにした兜飾りを多数ご用意しておりますのでこちらよりご覧ください。
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端午の節句の五月人形に「上杉謙信公の兜飾り」をおすすめする理由
前述のように、上杉謙信公の
・文武の才に秀でていた
・若くして類まれなる功績をおさめている
・義理深く人情深く、卑怯を嫌う人物
というところが、世代に関わらず多くの上杉ファンを生みだしている理由なのでしょう。
上杉謙信公の生き様は「男子の憧れの的」と言っても過言ではありません。
端午の節句というのは御存知の通り、「男子の健やかな成長と将来の活躍を願う大切な行事」です。
端午の節句はその派生こそ「邪気払い」や「災厄の身代わり(形代)」としての存在ではあったものの、時代とともに【験担ぎや出世の象徴】としての色合いが濃くなった年中行事なのです。
ですから、親御さんや祖父母の方々が五月人形に武将「上杉謙信公」を選び、男の子に「上杉公のように立派な人物に成長してほしい」と願うのは、当然のことだといえるでしょう。
上杉謙信公と同時期にも、また別の時代でも様々な武将が活躍しそれぞれに特徴や魅力があります。
戦国時代の人気武将をモチーフにした「名将飾り」はすべてこちらからご覧いただけます。
特に、少し大きくなったお子さまが実際に着用することができる戦国武将の「着用兜飾り」は、男の子に大人気です!
- 収納 着用飾り「25号家康・陣羽織」:シックな黒塗の収納箱にオリジナルの三歳用陣羽織を飾る独特で品のある商品です。お子様が三歳になった時、兜を被り、刀を持ち陣羽織を着て記念写真を撮ることをイメージして制作いたしました。袱紗と前立に葵紋が特徴の兜です。葵は常に太陽の光を追う向日性の植物であり、茎を長く伸ばしながら光に向かって伸び育つという性質から発展するという意味合いがあるそうです。
商品詳細
- 収納 着用飾り「 25号上杉・陣羽織」:お子さまが三歳になった時、兜をかぶり、刀を持ち、陣羽織を着て記念写真を撮ることをイメージして製作致しました。お子さまとの思い出がより一層深まることと思います。兜は上杉謙信公をモデルとしており、日輪の部分には龍の細工が施されております。
商品詳細
- 彩宴 兜飾り「10号 上杉・龍村裂の兜」:上杉謙信公を象徴する「日輪弦月前立」をあつらえた、シルバーを基調とした爽やかな青が特徴的な兜。吹き返しと眉庇(まゆびさし)、袱紗に京都の龍村美術織物を使用しております。黒塗りの台屏風とLEDの優しい明かりが凛とした美しさを際立たせます。
- ケース入り 兜飾り「上杉茶兜」:ケースは、六角形になっており割れにくいアクリル仕様です。六角形は亀の甲羅を表しており、亀は寿命の長い動物であることから長命・長寿の象徴とされています。黒と茶のコントラストはとても品のある雰囲気があります。前にある太刀は護身のために飾られています。太刀の台座・兜の吹返し・後ろの柄には龍が施されており、龍はとても縁起がよく、出世や上昇志向の願いが叶うなどの意味合いがあります。
- 収納 着用兜飾り「着用兜 25号上杉・陣羽織」:シックな黒塗の収納箱にオリジナルの三歳用陣羽織を飾る独特で品のある商品です。お子様が三歳になった時、兜を被り、刀を持ち陣羽織を着て記念写真を撮ることをイメージして制作いたしました。お子様との思い出がより一層深まることだと思います。兜は、上杉謙信公をモデルとしており、日輪の部分には龍の細工が施されております。上杉謙信公は戦でほとんど負けなかったことから軍神とよばれていたそうです。
ごっこ遊びが楽しい年齢のお子さまにおすすめの「着用飾り」の商品詳細はすべてこちらからご覧いただけます。
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上杉謙信公の兜に込められた意味とは? 前立の日輪と三日月
上杉謙信公の兜をモチーフにした五月人形を選ばれるのでしたら、その特徴的な兜の「前立(まえだて)」に込められた意味を理解しておきましょう。
当時の兜には「大切な頭部を守る」という目的とともに、「周囲に武功をとどろかせるために目立つ」ということも求められていました。
そのため上杉謙信公の兜は、それまでに見られた「鍬形(くわがた)の兜」や「三日月の兜」、「日輪の兜」ではなく、前立として「三日月と日輪の両方が付いた兜」が採用されたとされています。
また、この三日月と日輪は当時上杉謙信公が信仰していた「妙見信仰(みょうけんしんこう・仏教)」の教えである「太陽と月」をモチーフとしているとも言われています。
これは妙見信仰の仏神である「摩利支天(まりしてん)」を表しており、サンスクリット語で「日月」を表し、「勝利や護身」の加護があるとされていたモチーフです。
このように、上杉謙信公の兜の前立てには
・2つのモチーフを前立てにつけた兜は他に例がなくとても目立った
・妙見信仰の教え「日月信仰」がもとになっている
・妙見信仰の仏神「摩利支天」は勝利や護身の加護を表している
という特徴的な由来があるのです。
兜に込められたこれらの意味は、男子の前途への願いにも最適なのではないでしょうか?
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上杉謙信公の兜飾りの東玉おすすめをご紹介
それでは、東玉がおすすめする上杉謙信公の兜飾りを厳選してご紹介いたします!
商品詳細
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東玉では戦国武将シリーズ以外の五月人形も商品豊富に取り揃えております
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上杉謙信公は生涯70有余の戦いにおいて、破れたことがたったの2回しかないと言われており、戦国大名のなかでも特に人気の高い武将と言えます。そんな上杉謙信ですが生涯独身を貫き”子”を残した記録もない様です。これはお兄さんの子供に家督を繋ぐ為とも言われています。兄から自分、自分から兄の子へと、自分は中継ぎとして”越後”を立派に守るという気概の表れだったのでしょうか。
その生き方は豪気でありながら義に厚く、卑怯を嫌うその生き様は、令和の世代になっても重要な「男の子の生きる指針」といえるのではないでしょうか。
この記事を通して、五月人形としての上杉謙信公の兜の良さが、少しでも伝わりますと幸いです。