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五月の節句「端午の節句」は男の子を鎧兜や菖蒲湯で守る意味があります

2021年10月4日

こどもの日の行事

五月の節句「端午の節句」は男の子を鎧兜や菖蒲湯で守る意味があります

「端午の節句」とは、五月飾りを飾って「男の子の初節句のお祝いをする」日本の年中行事です。五月飾りでは「内飾り」として鎧兜や武者人形を屋内に飾ります。また「外飾り」には「鯉のぼり」や「幟旗(のぼりばた)」が飾られます。

五月の節句には男の子のために五月人形を飾ってお祝いをし、柏餅や粽(ちまき)を食べたり、菖蒲湯に入ったりします。端午の節句は男の子のためと言いますが、これらの習慣は多少違いはあるにしても、日本全国で伝統的に行われてきたことです。ですから、きっと女の子でも柏餅やちまきを食べたり、菖蒲湯に入った記憶があるのではないでしょうか?

これほど日本文化に浸透している「端午の節句」の風習なのですが、以外なことにこの五月の節句の由来や意味はあまり知られていません。

では、なぜ「鯉のぼり」や「五月人形」を飾って「男の子のお祝いをする」のか、この日に柏餅やちまきを食べたり菖蒲湯に入るのはどうしてのか、5月5日の「端午の節句」の由来を見てみましょう!

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五月五日の「端午の節句」は2300年前の中国の悲しいお話が起源

五月人形の画像

「端午の節句」は中国から伝わってきた風習だといいます。その起源は非常に古く、なんと今から約2300年前の戦国時代の中国にまでさかのぼります。

端午の節句は一人の愛国者の不遇な死よりはじまります

楚(そ)の国に「屈原(くつげん)」という詩人がいました。彼は楚の国の王の側近でもあり、国を思う気持ちや正義感がとても強かったので王や国民から大変信頼されていたといいます。
しかしそれを妬む者の陰謀によって失脚して国から追われてしまいます。屈原は失望し川に身を投げて死んでしまいました。
そのことを知った国民は、屈原の体が魚に食べられないようにと、船で川に乗り出し「粽(ちまき)」を投げ込んだり、太鼓で大きな音を出して屈原の体を守ろうとしたそうです。

屈原が亡くなった日が5月5日だったので、毎年その日には屈原の供養としてお祭りが行われるようになりました。「供物としてちまきを川に投げ入れて国の安泰を願う」という「厄除け」の風習が生まれ、それは中国全体に広がっていきました。

「厄除け」が「端午の節句行事」となっていった背景

では、なぜこの「厄除け」の風習が、「端午の節句」になったのでしょうか?

その理由は「5月が季節の変わり目(節句)で、体調を崩す人や亡くなる人が多かった」からです。「端午」というは、「5月端(はじめ)の午(うま)の日」を指す言葉です。

昔の中国は5月になると、家の軒先に「菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)」を軒に飾って「厄払い」としたものでした。強い香りがある菖蒲には「魔除け」の効果があるとされました。また蓬の方は「おいでおいで」をする手の形に見えることから「福を招く」と考えられていたのです。

このような季節目の変わり目に「厄除け」や「邪気祓い」をする風習が日本にも伝わり、後の「端午の節句」になったと考えられています。

端午の節句の風習は現代の日本では五月人形を飾ることで知られていますが、東玉でもたくさんの五月人形をご用意しておりますのでこちらよりご覧ください。

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商品詳細

端午木目込人形 「皐月童 凜」

端午木目込人形 「皐月童 凜」

143,000円(税込)

規格:幅42×奥行37×高さ31cm

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端午木目込人形 「皐月童 陸」

端午木目込人形 「皐月童 陸」

115,500円(税込)

規格:幅29×奥行24×高さ28cm

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商品詳細

端午木目込人形 「皐月童 悠」

端午木目込人形 「皐月童 悠」

137,500円(税込)

規格:幅42×奥行27×高さ31cm


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五月の節句が「男の子のお祝いの日」となったのは江戸時代の武家社会の風習から!

こいのぼりの画像

日本でも昔から、体調を崩しやすい季節の変わり目(節句)に、栄養のある旬の食材を神様にお供えする風習がありました。お供え物のお下がりを我々もいただいて、体調を整えて「節句時期」を乗り切っていたのです。

奈良・平安時代の五月の節句

中国の「端午の節句」は奈良時代に日本に伝わりました。当時はこの季節に薬草を摘んだり、菖蒲を入れたお酒を飲んだりして、厄除けや健康増進をしていたようです。
奈良・平安時代の貴族の間では、冠や軒に菖蒲を飾り、菖蒲の葉で「薬玉(くすだま)」を作って贈り合ったりしていました。厄除けの意味を込め「騎射(うまゆみ)」や「競馬(うまくらべ)」などの行事も行われ、庶民の間でも五月の節句時期には軒先に菖蒲を飾り、子どもたちは弓を引いたり「印地(いんじ)」という石合戦をして遊んでいました。

鎌倉時代の五月の節句

鎌倉時代になると、武家の間で「男の子に兜や太刀を贈る」風習が生まれます。「菖蒲の葉」を「刀」に見立てて飾ったりもしたそうです。民間では五月の節句には「菖蒲酒」を飲み、「菖蒲湯」の風呂につかり、「菖蒲枕」を使って寝るという習慣が盛んに行われるようになります。

江戸時代の五月の節句

江戸時代の初期には、武家社会が「菖蒲(しょうぶ)」の音が「尚武(しょうぶ:武を重んじる)」に通じることから特にこの日を大切にするようになり、五月の「端午の節句」は「尚武の節句」として武家の間で盛んに行われるようになりました。
また、将軍に大切な世継ぎの男の子が生まれると「幟旗(のぼりばた)」を立ててその誕生を知らせ、槍や兜などを飾って盛大にお祝いしました。
これを受けて、武家屋敷でも五月の節句には家の外に柵をつくって幟旗や槍を飾り、内飾りとして鎧兜飾りや武者人形などの五月人形を飾って「男の子の誕生をお祝いし、無病息災を願う」という風習が生まれたのです。鎧兜は武士の防具でしたから「男の子を守るお守り」の意味がありました。

江戸中期を過ぎると、民間でも紙で鎧兜など作って五月の節句に飾るようになりました。子供たちは菖蒲の葉を編んで縄状にしたもので地面をたたき、大きな音を出して遊ぶ「菖蒲打ち」をして遊んでいたそうです。

江戸後期には、当初は紙で作られていた鎧兜飾りもどんどん精巧なものに変化していきました。
庶民の間でも、五月の節句の外飾りに「武者絵の幟旗」や「鯉のぼり」も立て飾るようになりました。鯉は滝を登り龍に変身するという中国の伝説から「鯉のぼり」を男の子の「立身出世の象徴」として飾るようになったのです。

「端午の節句」はこのように民間に広がっていき、今のように全国的に「男の子のお祝いの日」となりました。

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草木染 兜飾り「7号 極鳳」

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