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「天児(あまがつ)」は雛人形の祖先?歴史から知る雛人形の歴史

2023年11月30日

雛飾り

「天児(あまがつ)」は雛人形の祖先?歴史から知る雛人形の歴史

雛人形の歴史を紐解くと、本来の意味合いからするとさかのぼりすぎることはないくらい、昔々にたどり着きます。雛人形は女の子の成長や幸せを願ったり、実際の無事の成長を祝ったりするときに飾るものです。今では雛人形はひな祭りに欠かせないお人形となっていますが、もともとはどのような人形に端を発しているのでしょうか。

豪華で美しく気高くも見える雛人形を所有することは、人々のあこがれの存在であったに違いありません。しかし突如として江戸時代に豪華な雛人形が登場したわけではありません。そのルーツを探るべく時代をさかのぼると、「えっ?このお人形が!?」という驚きも生まれそうです。ここでは雛人形の歴史の初期にタイムスリップしてみましょう。

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「人形」から「天児」と「這子」へ

歴史を見てみると、人形のルーツは埴輪や土偶までさかのぼることができると考えられています。しかし雛人形の歴史はというと発祥は以下のように言われています。唐の時代、大陸の文化が日本に入ってくると、草や紙で人の形の「人形(ひとがた)」が作られるようになりました。そのひとがたで身体をなで、厄や災い・穢れといったものをひとがたに移しました。これを身代わりの「形代(かたしろ)」とも呼びます。かたしろを川に流すことにより、人々は厄払いとしたのです。これは現代にも伝わり「流し雛」の風習として残っています。

厄払いの意味合いが一歩進んで、赤ちゃんを「守る」役割を負うのが「天児」と「這子」です。天児は「あまがつ」、這子は「ほうこ」と読みます。這子は「祓い子(はらいこ)」から来たもので、どちらも平安時代の貴族の間に広まりました。医学が未発達だった当時は、新生児の死亡率が高く、生まれてきた赤ちゃんの身の汚れや災いを、身代りになって背負ってくれると考えられていたこれらの人形を、飾り無事に赤ちゃんに成長してほしいと願うようになりました。

「天児」と「這子」はどう違う?

天児は幼児の守りとしてその枕元においた「形代」の一種です。天児は丸い竹(木の棒のこともあります)をT字に組み合わせ、体と両腕を表し、そのてっぺんに白い絹を丸めて頭をつくり、目、鼻、口と髪の毛が描かれます。

這子は、天児と同じ頃から同じような目的で登場します。室町時代の「御産之規式」から引用すると「白絹の四隅を縫い合わせて綿を入れ腹の部分でくけて胴にすると、四隅が手足となる。目鼻口を描き、男の子のものは口を開かないように、女の子のは口を開いているように描く」とあります。布で作られており、うつぶせにすると子どもがはいはいするような形となります。中に綿をたくさんつめて作られた人形だったので、後には幼い子どものおもちゃの役割となり、現代のぬいぐるみと同じように遊ばれていました。頭には黒い絹糸を髪の毛としてつけてあり、金紙で束ねられました。

現代の雛人形にうけつがれる天児と這子の役割

「天児」「這子」はひな祭りに特定されないお人形だったことがうかがえます。また、子供の性別に関係なく、幼い子供のお守りだったのでしょう。そういう意味では雛人形のルーツだけでなく、五月人形のルーツにもなると言えるかもしれません。

また、這子は、江戸時代に入ると一般の家庭にも広まり、赤ちゃんのお守りとして枕元に置かれるようになります。這子をお守りとする考え方はずいぶん長く続き、昭和に入ってもおばあちゃんやお母さんが縫った「ほうこ」を幼い女の子におんぶして遊ばせる風習が残ります。このころは「おさるさん」とも呼ばれ、柔らかいぬいぐるみは安全なおもちゃにもなりました。その後も呼び方は様々に変えられて各地の郷土玩具として残り、その代表格が、飛騨高山の「さるぼぼ」です。さるぼぼは、古来より魔除けの色とされる赤い布で作られており、『さる』は病が去るに通じ『さる=猿』は音読みで「えん」と読むことから良縁に恵まれるという意味合いもあるそうです。もともと「さるぼぼ」は身近な家族や親戚によってつくられたものでしたが、現在は飛騨高山地方のお土産物店でかわいらしいさるぼぼが販売されております。

時代が下ってひな祭りが行われるようになると、雛人形のわきに「天児」「這子」がそっと添えられたという文献も残っています。

雛壇に並べてあっても「天児」「這子」は厄除けの「お守り」であり、民間信仰の要素も含むということです。対して「雛人形」は後に、女児の先行きの幸せを願う対象とされるようになりましたが、ここに「天児」「這子」が添えられたということ、これは雛人形がもはや天児や這子の役割さえも内包した存在である、といってもいいのではないでしょうか。
「天児」「這子」から「雛人形」へと形を変えつつも、生まれてきた赤ちゃんが無事に成長してほしい、災いがふりかからず成人してほしいと願う親心は昔も今も変わりありません。

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