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座り雛の元祖は「室町雛」それとも「寛永 雛」?雛人形が立ち姿だった時代も。

2023年12月11日

雛飾り

座り雛の元祖は「室町雛」それとも「寛永 雛」?雛人形が立ち姿だった時代も。

ここ数年は立ち姿の雛人形「立ち雛」が徐々に増え始めてきましたが、やはり「雛人形」という言葉から皆様が想像するのは、座っている姿の「座り雛」ではないでしょうか。

雛祭りの発祥をたどると、古来の民間信仰に遡ります。人は身のまわりの厄を祓うために、紙を人のかたちに切ってそれを自分に見立て、自分についた穢れをその人型の紙に移して、川に流したり、お祓いのための神事の道具としました。

平安時代になると、その人型の紙が紙雛となり、子供たちの遊びの道具にもなっていったとも言われています。そのときの人の姿はまだ立ち姿です。これがどうやって今の雛人形のような座り雛になっていくのか。室町時代と江戸の初期にヒントがありそうです。

座り雛の起源がどの時代なのか…。諸説ありはっきりとはしていません。

さて「飾る」ことを目的としたであろう雛人形があらわれるのはいつの時代でしょうか。これまでの道具としての立ち姿の人形から飾ることを前提とした座り姿の人形への移行期。

これには諸説ありますが、一説にはおそらく室町時代ではないかと言われています。これは「室町雛」と名前の付く小さな雛人形が現代に残っているからです。

これによく似た形の雛人形に「寛永雛」があります。これは江戸初期の寛永時代に作られた雛人形で、現代の雛人形と比べるとまだまだ小さいサイズ。10cmくらいでしょうか。この座りびなの最初に登場したのが「寛永雛」でした。 寛永雛は束帯姿・面長な古典的気品のある顔立ちで、いまの京雛の源流とも言えます

室町雛・寛永雛の特長と歴史

「室町雛」と呼ばれる雛人形は様々なタイプが存在しますが、どれも立ち姿と座り姿を相混ぜたような形となっていることが共通です。男女の雛ともに丸顔で、男雛は袖を内側に巻き込むような形になっていますが、女雛は両袖を左右に広げた形になっており、立ち雛からの変化が見てとれます。

しかしそれまで人型の人形は立ち姿ばかりだったことを考えると、ついに座り姿の人形の登場ということには変わりありません。座り姿ということは、それがお祓いの道具ではなく、観賞用の人形であると推測できます。しかし「室町雛」はその名前で江戸時代に製作されたという説もあり、研究者の間でも本当のところはどうなのかははっきりとはわかっていないのが現状です。

そして「寛永雛」。室町時代より後の江戸初期の雛人形です。室町時代までは立ち雛が主流でしたが、江戸初期の寛永時代になると、雛人形の主流が座り雛へと移り変わる様子がはっきりと見て取れるようになります。こちらは面長の顔に変化しています。男雛は冠を後から被せるのではなく、頭の上部に一体化されているのが特徴です。

また室町雛と同じく女雛の両袖は左右に開いたまま。つまり腕はかいな折り(肩やひじの部分を内側に折って角度をつけること)がされておらず、現在の座り雛のかたちに向かうまでにはこの後いくつかの時代を経る必要がありそうです。

また寛永時代の「西洞院時慶卿記」に後水尾天皇の中宮東福門院和子の方が、娘の興子内親王(後の明正天皇)のために雛人形を用意して、盛大にひな祭りを行ったという文章が残っており、これが記録されている最も古いひな祭りになります。

現代の雛人形に受け継がれる座り雛の歴史

ここまで主に立ち雛から座り雛の流れに関係するふたつの時代の雛人形についてお話ししてまいりましたが、その後も時代ごとに流行した雛人形がいくつかあります。

【元禄雛】
貨幣の流通とともに経済が成長した元禄時代。初代市川團十郎や尾形光琳が活躍し、文化は華やかな時代を迎え、生活に余裕の生まれた町人たちにも華やかな文化が流行りました。もちろん雛人形も芸術的要素が求められるようになり、所有することもステータスの一部となっていきます。この時代には座り雛がすでに一般的になっており、寛永雛よりも多少大きくなり20cm前後のものが多かったようです。

【享保雛】
さらに享保年間に入るとますます絢爛豪華な座り雛が登場します。この時代の雛人形は職人の腕自慢も手伝って急激に大きくなりました。なかには120cmを超える雛人形まで作られたといわれ、これに幕府が出した触書により大きさを8寸(約24センチ)以下と定められたほどの盛り上がりぶりでした。この時代から髪が黒い絹糸(スガ糸)になります。女雛の冠が特徴的で、金属製の豪奢な飾りをたくさんついた冠をかぶります。

【有職雛】
公家社会の有職故実にもとづいて、文様や装束を正しく衣裳として着せた座り雛です。年齢や位によっても装束がはっきりと決められており、忠実に人形に再現されました。宮中につかえていた高倉家と山科家に衣裳を作らせたため、雛人形にも、高倉式、山科式がそれぞれ存在します。

【古今雛】
原舟月という人形師が1760年代に作った雛人形がもととなっている座り雛です。「古今雛」と名付け、ガラスや水晶を目にはめ込んだお顔も作られました。今では当たり前となっているガラスの目はここから始まったと推測されます。写実的な顔立ちと衣裳の美しさが人々の間に大流行しました。現代の雛人形の祖形はこの古今雛だといわれています。

まとめ

子供の少ない時代となった今、雛人形職人たちは試行錯誤しながらより美しく思いのこもった雛人形を生み出し続けています。これまでに時代の名前の付いた「○○雛」と称されるようになった各時代の雛人形たち。もしかしたら後世「令和雛」と呼ばれるような新たな流行がこれから生まれる可能性もなくはありません。小さな人形から始まり、大きな人形へ姿を変えてきた、お雛様。そしてまた、現代の住宅事情等により、小さな人形へと変貌しようとしています。使われる材料も、時代と共に変化してきています。”SDGs”が叫ばれている現代。そんな観点からも、変化していくのでは、ないでしょうか?今後の雛人形文化に注目しつつ、興味深く見守りたいものです。

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